「過去の経験からしか、自信は生まれないものです」

そう言われれば、当たり前のことのように聞こえるかもしれません。

でも、過去に囚われ、苦しめられ、できることなら拭い去りたい──

そんな思いを抱えていた以前の私にとって、「過去」と「自信」はなかなか結びつかない言葉でした。

過去を消したかった私

過去を消したかった私

私自身、長い間ずっと過去に囚われて生きてきました。

岐阜県の山間集落で生まれ、高校卒業までの18年間を、父方の祖父母、両親、きょうだいと共に過ごしました。

祖母と母の確執、両親の夫婦喧嘩、メンツや世間体を重視する風潮──

大好きな家族。

怒らせないように…
誰も悲しませないように…

ただ、そう願っていただけ。

でも、気がつけば、どこへ行っても、無意識にその場の空気や相手の顔色をうかがって、

「この場所では、どんな行動をとるのが正しいんだろう?」

と考えはじめることが日常になっていました。

自分の中で「答え」が見つかるまでは不安で仕方なくて、ニコニコ笑って誤魔化していたので、周りからは「ニコニコしていて大人しい子」という印象を持たれることが多かったように思います。

でも、私自身はニコニコしたいわけでも、大人しくしたいわけでもなくて、ただ単に何を話せばいいのか正解がわからず、困っていて…。

でも、当時は「困っている」という自分の状況自体、明確に捉えられていなかったと思います。

「よくわからないけど、ずっと苦しい…。」
「こんな自分はもうやめたい!」
「もっと自分に自信が持てたら、きっと人生が上手くいく…!」

そう願っているのに、自分のどこを探しても、そう感じられる要素が見つけられない。

それどころか、

私はみんなと違う

自信を喪失させるようなことばかりが思い当たる。

最終的に行き着くのは、

「何をやっても無駄なんだ」
「あんな家庭で育ったから…」

そんな絶望の淵。

「これ以上頑張っても意味がない」
「もう終わりにした方が楽かもしれない」

そう思ったこともありました。

でも、やっぱり、人生を諦めることはできなかった。

どんな環境で育っても、人はみんな幸せになれる。そうじゃなきゃ、やっぱりオカシイ…!

子どもの頃から持ち続けた信念を、捨てることはできませんでした。

消したかった過去の中に見つけたもの

消したかった過去の中に見つけたもの

そんな私にも、転機が訪れました。

コーチになる前の数年間、オンライン秘書として働いていた時のこと。

「いつも先読みして動いてくれて嬉しい」
「痒いところに手が届くという感じでありがたい!」

ある起業家の方が、そう褒めてくださいました。

褒めてくださったことは嬉しい。
でも、意識して何かをした覚えが全くなくて、ちょっと怖い…。

何を評価してくださっているのか見当がつかず、

「ありがとうございます。でも、仕事として当たり前のことをしているだけです」

と答えると、その方は、

当たり前じゃないよ。
なかなかできることじゃないよ。

と言ってくださいました。

それでも、なかなかその意味がわからず、同じようなやり取りを何度か繰り返し、ある時、ようやく気づきました。

いつも人の顔色をうかがって、気持ちを察して、答えばかり探している自分。

「こんな自分、嫌だな」
「こんな自分、やめたいな」

ずっと、そうマイナスに捉えてきた、「察して動く」という部分。

好きで身につけたわけではなく、子どもの頃から家庭内の空気を読みながら生きる中で、自然に身につけてきたもの。

幼少期から予期せず鍛錬を積んできた。

積まされてきた部分。

でも、「大人になってから身につけたい」と思っても、簡単には身につけられない。

人が真似したくても簡単には真似できない、そんな経験値が私にはあるんだ、と。

この部分を活かせたら、私は一生なくならない自信を手に入れられる

そう考えた時、

「ここまで頑張ってきたことが、ようやく報われる」

そう感じ、強く温かい気持ちが湧いてきました。

ずっと探し求めていた「自信」を持つ根拠を見つけたようで、心の中でフワフワしていたものが、ようやく着地した瞬間でした。

まだ道半ばだった

まだ道半ばだった

幼少期の家庭環境から身につけたものを卑下するのではなく、最大限に活かす。

そう決めてから、ずっと抱えていたモヤモヤが晴れて、「怖いものなし」というような感覚が生まれました。

「これが“自分軸”というものかな?」

そんなふうに感じ、ちょっと誇らしくさえ思っていました。

マイナスに捉えていたものを、プラスに捉えられるようになったのだから、当然、前に進んだはずでした。

でも、残念ながら、ただ「強みだ」と気づいただけでは上手くいきませんでした。

実際の私は以前と変わらず、

「相手は今、忙しいんだな」
「私が頑張ればなんとかなる」

そんな思いから、大量の仕事を引き受けてしまっていました。

私が仕事を断らないので、周りからも、

「あの人ならやってくれる」

そんな期待を持たれ続けてしまう。

「こんな自分は嫌いだ」と思っていた頃も、「強みだ」「活かそう」と考えるようになってからも、結局、私はずっと変わっていませんでした。

「察して動く」という自分の中にある力に翻弄され続けていたのです。

「これじゃあ、“自分の幸せのために活かせている”とは言えない…」

捉え方を変えただけでは、まだ道半ばだったのです。

本当に必要だったこと

本当に必要だったこと

ある日、就寝前に

「明日の朝までになんとかならない?」

と、仕事の依頼が入ってきました。

「この人なら何とかしてくれる」

一見すると、信頼されているのかもしれない。
それはありがたい。

相手の状況も手に取るようにわかる。

私がやれば丸く収まる。
私がやれば済む話。

でも、すべて引き受けていたら、自分の心と身体が犠牲になってしまう…。

これじゃあ、これまでと何も変わらない…。
変わりたい。
自分の人生を生きるために…。

葛藤の末、勇気を振り絞って、これまでにない行動をとってみることにしました。

「ごめんなさい。明日は他の仕事があって、お引き受けできません…!」

お相手は期待が外れて動揺気味に「そこを何とか…」と食い下がる…。

「お引き受けできるとよかったのですが、今日の明日ではさすがに難しくて…。すみません…!」

これまでは、

「引き受けなかったら、大変なことになる」

と、心がザワザワして、不安で、可能な限り尽力してきました。

でも、断ってみて知りました。

私が引き受けなくても、なんとかなる

ということに…。

 

子どもの頃、

「私がなんとかしないと、家族が壊れるかもしれない」

そんな現実を私は生きてきました。

そして、大人になっても変わらず

「自分が何とかしなければ、怖いことが起こる」

という前提のもとで、生き続けていました。

でも、実際には、思っていたような「怖いこと」は起こりませんでした。

そして、たとえ「怖いこと」が起こっていたとしても、あの時とは違い、私はもう大人です。

子どもの時より対処する力が備わっています。

だから、相手の状況を察して動く力があるからといって、察したことすべてに応えなくてもいい。

できるからといって、やらなくてもいい

相手の状況がわかったうえで、

「今はやろう」
「今はできるけど、やめておこう」

そう決めてもいい。

「察して動く」という力を使う主導権を自分の手に取り戻し、自分の幸せのために活かしていくスタートラインに立てた、そんな瞬間でした。

「過去を自信に変える」とは

「過去を自信に変える」とは

あの時、私が本当に求めていたものは、単に「断る勇気」ではなく、「察して動く」という力を自分で選んで使える自由でした。

私がここでお伝えしたい「過去を自信に変える」とは、辛かった過去を単にポジティブに捉え直そう、ということではありません。

大切なのは、その力を「使い続けなければならないもの」から、「自分で使うかどうか選べるもの」へと変えていくこと。

過去に囚われ続けるのでも、過去を切り離すのでもない。

過去の経験の中で身につけたものを「自分の一部」として受けとり、これからの人生にどう活かしていくか、選べるようになる。

それが、私の考える

過去を自信に変える

ということです。

すべては「自分とのつながり」から

すべては「自分とのつながり」から

自分で選び、自分で決める。

でも、そのためにはまず、「これは自分の意思なのか」それとも「過去から続く反応なのか」、両者の違いに気づけるようになる必要があります。

ただ、それは簡単なことではありません。

慣れ親しんだ感情に飲み込まれてしまったり、反対に、感じないように蓋をしてしまったり。

相手の気持ちはわかるのに、自分がどうしたいのかはわからなかったり。

特に、長い間、自分の気持ちよりも周りを優先して生きてきた人にとって、

「私は、どうしたい?」

という問いは、時にとても難しいものです。

まずは少しずつ、自分とのつながりを取り戻していくこと

私はそれが、過去を自信に変えるための土台になると考えています。